証。

友人の不幸を「ネタ」にしていると思われると困るのだけれども…。

夜、会議に出ていた。
終わって、携帯を見たら高校の友人からメールが来ていた。
友人の一人が亡くなったとのこと。


私たちは高校の書道同好会の設立メンバーで、
クラスを超えて、いつも一緒だった。
同窓会には出ていないけれども、いつものメンバーで同好会の顧問の先生の書道展に行くべく、
必ず一年に一度は会っていた。
彼女とは、昨年の夏に会ったのが最後になってしまった。


私は今、年度内の執行で研究を行なっている。
私の要領が悪いのもあり(社会人学生は理由にはできないだろう)、
昨夏も今もばたばたしている。
そのため、昨夏の書道展の後の食事会を、私は欠席して帰った。
「忙しいんだね。それも幸せだよ。頑張って」というようなことを言ってくれたのが、最後の会話。


メールをくれた友人みたいに、ショックで話せない…という思いならばいいのだけれども、
今の私は睡眠時間を削ってもしたいことがある。
悲しいからこそ、生きている私は、自分のすべきことをして精一杯生きなきゃとも思うし、
そんなの詭弁だ、とも思う。自分でもよくわからない。
ただ分かることは、空虚感と今の私にはすべきことがあるという思いがあるということだけ。
自分が何をやってきたのか、分からなくなってしまった。


でも、それは違うのだろう。
アーカイブズを学んでいるのだから、この世に彼女が確かに生きていた証をどう残していけるかを考えるべきなのだろう。
そのことと悼むことはイコールではないけれども。
地域や人の歩みを示すものとしてのアーカイブズにこだわっているのだから…。
残念ながら彼女の肉声は、録音していない。耳に残っているだけ。