「映像人類学の未来にむけて」に行ってきました


多摩美術大学の公開講義「映像人類学の未来にむけて」に行ってきました
(14:40〜17:50 @多摩美術大学八王子キャンパス)。
同大芸術学研究所が共催とのこと。
http://www2.tamabi.ac.jp/cgi-bin/iaa/article.php?id=458


登壇された川瀬慈さんは、昨秋参加した、
東京大学総合研究博物館の平成22年度学芸員専修コース「映像博物学の挑戦」の先生でした。
映像人類学という言葉を知ったのは、お恥ずかしながらその時が初めてだったのですが、
研究テーマである音声のアーカイビングの近隣領域だなと感じていました。
一番驚いたのは、音声のみで構成された映像人類学の作品もある…というお話し。


その時は映像人類学の概要もお話しいただきましたが、映像を製作する前のレクチャーのため、
映像の一部しか見られなかったこともあり、今回、参加してきました。


上映作品は以下三本(上記URLより引用。解説はリンク先からご覧ください)
―――
撮影場所:ゴンダールエチオピア連邦民主共和国
1) 『ラリベロッチ −終わりなき祝福を生きる−』 2005年、30分 
2) 『Room 11, Ethiopia Hotel』 2007年、24分 
3) 『精霊の馬』 2011年、37分
―――


*1)は学芸員専修コース関連展示「IMAGINARIA――映像博物学の実験室」で上映されています。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2011IMAGINARIA.html


1)と2)は昨秋部分的に拝見していたのですが、全体を見たのは初めてでした。
やはり部分では伝わらないことがあるなあと、実感。


上映しながら、芸術学研究所長の中沢新一さんとお話しをなさっていて、
芸術に係る部分は理解しきれない部分もありますが、自分の関心に引き付けて印象に残ったことを一つ。

映像人類学は「映像を通して人間をとらえ、リアリティが何かを考え、分析することをカメラで行なう」ことであること(「」内は中沢さんのお話しをメモしたものに拠りますが、文責は私です)。
映像民族学が進化したものだそうで、その転換点は2006年から2007年頃。
機器の変化も学問のあり方を変えた一因のようです。


私は音声のアーカイブを研究テーマとしており、メディア特性を意識しなくてはいけないことは多くの方にご指摘いただいていますし、私も実感しておりますが(こういうことに関心があって以降、一番多く使ったメディアがMDですので)、
メディア属性がコンテクストを形成する、しかも単体ではなく全体の…ということは意識しておくべきと思いました。
録音メディアの変化でフィールドワークのあり方が変わったというお話しは民俗学(誤記ではなく、民俗)の飯倉義之さんが書かれていますが、学問領域まで変わるとは…。
その意味で、あちこちに意識を向けることで知識の幅を薄くしてはいけないのですが、映像人類学、そしてその基となっている民族学の基礎を理解しなくてはと思いました。
今夏は『悲しき熱帯』をきちんと読みたいと思います
(それにしても、レヴィ=ストロースと言い、バルトと言い、日本文化への憧憬をお持ちなのは、世界の国のことを知りたいからまずは自国のことを…と日本史、殊に国風文化を含む平安時代をまず専攻した私には印象的です)。


昨秋の講義の折にお話ししたのは短い時間だったにもかかわらず、覚えていて、声を掛けてくださった
川瀬先生に感謝するとともに、
今回の公開講義で感じた課題はブログには内緒…ではなく、答えを出していきたいと思います。


余談ですが、多摩美の芸術学科のページを見たら、研究テーマに関連する講義が沢山!
「音楽のアーカイヴ」とか「音と映像の人類学」とか…。
美術には縁遠い(みるのは好きでも描くのは苦手だったので)と思っていたことを反省。
講義を受けてみたいなあ…と思うので、まずは先生方の論文等を拝見しようと思います。


音声のアーカイブズについての研究と、漠然としたことを研究テーマとしていっていますが、
実際は話し言葉とそれにまつわる記憶についてを、具体例として論じていこうと思っています。
阪神・淡路大震災後の音声の保存のされ方に学ぶことが多かったこともあり、
災害に係る記録と記憶の保全を意識しているのは、その過程で自然なことでした
ケーススタディ的に言うのには抵抗があるのですが、対象とすることで現在や過去に向き合い、
これからにつながるアーカイブズのあり方を考えていきたいと思っております)。
アーカイブズ学のこれまで培ってきたものを基に、さらにさまざまな領域をふまえるのは容易ではないですが、
目指すところに一歩ずつ近づいていければ…と思います。
そう思える、いい公開講義でした。
修了生に講義のご案内をくださった、東大総合博の方、公開講義を企画された多摩美術大学の方、
そして川瀬先生に感謝します。