首都圏ネットへの思い:まさにユメノツヅキ?


今年の初め、ある星占いに、
私の星座は、進みながらでないとその先の道がみえない、いう趣旨の言葉がありました。
登山のようにルートを決めていくのではなく、オリエンテーリングのように進むということ。
さらに、あちこちぶつかりながらでもやってみたい、自分の言葉で綴りたい性格(-_-;)
要領は悪いです、いや、能力が低いのでしょう。


このことと、首都圏ネットの立ち上げ人としての動き方、ある意味では似ていると思うのです。


さて、4月にはいりました。
入構制限はありますが学会準備や履修のことを話しあったり、
母校での勤務のことで連絡が来たり…まだ断片ですがいろいろなことが動き始めました。
講義によっては今週から始まりるものもあります。
3月末から頭痛が続いていて(水を多く飲むと良いというアドバイスをいただいたのですが、今のところは治まらず)、
動きはぼんやりしているのですが、時は確実に進んでいます。
2日に咲き始めの目白の桜も、4日にはずいぶんほころんでいました。


頭痛のことで#savearchives(#saveMLAK)の作業が止まっていたり、
諸々のことに時間が掛かっていますが(>_<)首都圏ネットの今後のことも考えています。


首都圏ネットは元々、神奈川ネット(史料ネットの神奈川版)を作れないかということが契機でした。
2010年台風10号により被災資料がないかを確認したく、「神奈川ネット(仮)」ということで動いてみようということで、
史料ネットの皆様をはじめとした様々な方々にご協力いただき、
昨秋の台風での降雨被害の所在確認調査をさせていただきました。
お忙しい中ご対応くださった町教育委員会や指導員の先生に感謝しております。
その動きをとめず、間尺にあった活動ができれば…ということで始めました。


どんなささやかなことも救いあげる、守りたい資料についての情報を寄せられる場、
皆で情報を共有したり、わからないことがあった際にレスキュー経験者に質問できる場…
人の/地域の/組織の歩みを示すものは、できればその人/地域/組織で保全できればいい。
とはいえ、特に自然災害時はそのようなことが可能な状況ばかりではない。

色々な資料保全のMLは、従事者の連絡用なことが多いですが、誰でもがアクセスでき、
良い意味で「助けて」と悲鳴を挙げることのできる場所を作りたいと思いました。
なので、正式名称は「首都圏地域資料情報ネットワーク」。「情報」をあえて入れました。
神奈川ネット(仮)を開始するずっと前に、首都圏は横断的な組織が良いのではないかという話しをしたこと等で、
「首都圏」としましたが、「悲鳴を挙げる場」として、全国どこからでもお使いいただきたいと思っています。
なので災害時に「開放する」とよく言っていました。東日本大震災後も。
分かりづらい表現ですみません。自由にお使いくださいということです。


MLの特性上、登録が必要になりますので登録が嫌な方にも声を挙げていただけるよう、
また、MLにご登録いただいている方以外の方にも情報を共有していただきたく、本ブログに情報をアップしています。
ブログは、携帯からもアクセスできるので、避難所等に居られる方にも読んでいただけるというメリットがあると思っています。
個人ブログと首都圏ネットの情報が混じっていますが、今後の展開によっては分けることも考えますが、
皆様にご海容いただけるならば、自分の関心の所在のアーカイブとしての意味や、
またこういう背景記事を掲載できるという意味もありますので、それはそれでいい、と思っています。


首都圏ネットを立ち上げた際に情報ハブにしたというのは上記の通りです。
技術的な面は、神奈川ネット(仮)のことから情報発信についての相談を受けてくださっていた方にお願いし、オーナーとなっていただきました。
正直、レスキュー組織にできなかったというくやしさも、個人的にはありました。


2010年11月27日に立ち上げ、直後には幾つかの史料ネットの方々から祝辞を頂戴し、
また、シンポの討論の折に概要をお話しいただく機会をいただくこともありました。
すごくありがたかったです。
勿論、いろいろな方にお力添えいただいています。
そのことに感謝し、頑張りたいと思い、また私の至らなさでご迷惑をお掛けしたり悩んだりの3ヶ月でした。


3月11日の震災は、震度5弱ということ以上に、今まで感じたことのない怖い揺れを感じました。
私がいた建物は数年前に建てなおしたばかりでしたが、古い建物のままだったら壊れていただろうと、皆で話していました。


被災というよりもその後の様々な計画の中止、入構禁止等で一見時間があるけれども何事も進みにくい中で、
自分の力不足を感じ、どうすればいいのかを模索しながら情報を発し続けました。


震災からもうすぐ3週間。動く軸としての期待を、いただいています。
ボランティア保険をどうするか、そもそも資金は…等の課題は依然としてありますが、
組織として固まっていない分、個人の「やりたい!」という思いが集う場にはなれるのかもしれないと、
少しずつ感じています。

首都圏ネットという存在が、そのことに集約できるならば、
目的以上のことはしなくてもいいのかもしれないけれども、
その思いをふんわり包むネットになればいいなと思っています。…漠然とした表現ですね。


私は悲観的になりやすいのですが、動くならば一筋の光を追いたいと思っています。
そこで思い出したのが冒頭に書いた、石井ゆかりさんの年報。
ある地点まで着いたらはじめて次がみえる…同じ軌跡をたどっているのかな、と思っています。


そして、どんなりやりたいことでも義務になったらつらくなる。
逆に大好きな歌の詞のように、ユメノツヅキだと思えば、進んでいける。。。
そう思っているからこのブログは「ユメノツヅキ」というタイトルを引用させていただいたのですが、
首都圏ネットを私が運営する以上、この道のりもユメノツヅキなのかな、と思っています。


私の研究テーマの音声記録と重ならないことを真剣にご心配いただくお声も沢山頂戴しました。
その方々のご意見に聞く耳を持たない、失礼なことになってしまうのかもしれませんが、
一瞬で消えてしまう人の思いを記録し、必要な人に届けたいという研究の初心は、
今の状況にも求められていることだと思っています。日常のことが濃縮して起きるのが災害時なので…。
勿論、数年後にもできること、数年後に受容されることという面もありましょう。
「今」に価値を置いてしまうのは、私の性格なのでしょう。
真剣にアドバイスをいただいている方々、すみません。
今の私の使命は、研究と資料保全の両方を行ない、見える世界を自分の言葉で伝えていくことだと思っています。

勿論、各史料ネットの先生方のように、大きな組織を運営していける力は私にはありません。
それは自覚しています。
今後、各史料ネットのような組織になるまで、バトンを持ち続けることが目的。
その中でどう動くかは、今は流れに沿おうと思います。
資料を保全することが目的で、
そのために何とかしたいという思いを持っている人の集まりが「ネットワーク」なので…。


未熟な立ち上げ人ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。


最後に、ユメノツヅキの歌詞へのリンクを。
Jazztronikさん『ユメノツヅキ feat.JUJU』の歌詞


*考え始めたのが4日になので、4日付の記事にします(4/6 01:58)。