沖縄調査のこと。

このブログは首都圏ネットの掲示板と、自分のブログが半々なのですが(関心のあることを反映させるため、分けないでいます)、自分で記事を書いたのはいつだっけ…と思ったら、東北地方太平洋沖地震の日でした。
写美の「夜明けまえ」の記事。
写美は職場から徒歩20分ぐらいなので、建物等は平気だろうと思っていましたが、しばらくは休館していたよう。今は短縮開館されています。よかった。今度観に行きます。

地震の日のことは、記録者としては書くべきと思いつつ言葉として固定したくない気もするのですが、思いがけなかったのは沖縄調査に行くかのどうかを確認されたこと。南下するから平気…ではなく、調査先に確認を取り、判断をせよとのことでした。
家族も自宅も、職場の建物も被害はありませんでしたが、この時期に行っていいのかと思いましたが、今だから分かることもあると思い、二泊三日で沖縄へ行ってきました。

戦争証言記録の調査でした。具体的なことはブログよりも報告書等とすべきでしょうか?
この記事では、まずは自分の印象を書きたいと思います。
沖縄へ行ったのは二度目。美ら海水族館が開館直前だったから2002年以来?
当時、友人が宜野湾市に住んでいて(琉大卒)、その子のお家に泊めてもらい、車で世界遺産をあちこち連れて行ってもらいました。中部と北部はかなり連れて行ってくれたのだと思います。大変だったろうなあと、今回反省。


その時と今回で決定的に違うのは、ゆいれーるができていたこと。
運転免許を持っていない私にはすごくありがたい乗り物でした。
最初に那覇空港から首里まで(始発から終点まで)乗ったのですが、車内放送に色々な音楽を使っていて楽しかった。
そして、「非日常」になってはじめて、地震以降いかにテンションが高かったかを自覚しました。
ゆいれーるから見た、久しぶりの沖縄は緑が深い印象。


調査先では、受け入れてくださった方が私が伺った目的等を丹念に聞いてくださり、
説明や資料をご紹介くださいました。
アーキビストのレファレンスとして、そのご対応も大変勉強になりました。


毎日、バスの時間とにらめっこをしながら館まで通いました。
毎日、緑の深さを、そして高台にある館まで上がっていく光景をみていました。
曇り空の日が多かったですが(薄着をして言って反省)、ハイビスカスの花が咲いていて、やはり緯度が低いことを実感しました。
沖縄にしかないファーストフードA&Wのコーヒーは飲もうと思っていたのに、結局沖縄料理ばかり食べていました。
お昼はそば、よるはご飯系。朝は宿泊先のバイキングでしたがそこでもゆし豆腐とか沖縄のおかず中心。
宿泊先のTVは、関東の天気予報をやっていて(なぜ?)、余震の報道が心配だったり、
関東にメールや電話をしていましたが、基本的には沖縄にいることに専念しようと思っていました。
この時期に調査することで気付くこともある…と確信して。


40年ぐらいまえの音声を静かな館内で聞かせていただいて、アーカイブズは個人の存在を保証するということを実感しました。行ってよかったです。
受け入れてくださった皆様に心より御礼申し上げます。


そして、音声をアーカイブズするということは日々の中にもひそんでいることを実感しました。
初日のお昼、食堂のお母さんから、息子さん一家が東京にいて、でも震災は知らなくて、
親戚の人に「大丈夫なの?」と聞かれて初めて知ったんだ、と伺いました。
そうやって話しこんでいたらご主人が、付けてあったテレビを消し、何も言わずに傍らで三琴をひいておられました。
その音も、私にとっては大切な記憶にまつわる音です。